TOKYO ⇔ KYOTO

東京と京都のクリエイティブエージェンシーで働くふたりの異文化交流

グザヴィエ・ドランを観て人間関係について考えた。

2回目にして、早くも更新を一週間先延ばしにしてしまい相方に迷惑をかけてしまった。
大変お待たせいたしました。日曜の夜に、こうして1週間を振返りながらなにを感じたり考えたりしてきたのか整理する作業はとても楽しいが、気になる展示を見に行って、気になる映画をはしごして、喫茶店で本読んで、美味しいごはんを作って食べて、洗濯と掃除をやり切るには48時間じゃ全然足りない。っていうのはタダの言い訳なので、さっそく本題に入ります。

前回の記事で、頭の中の考えを文章で整理することの重要性と相性の良さに気づいた話を書いたが、今読んでいる本(人間はどういう動物か / 日髙敏隆)にもっともらしい根拠を見つけたので書いておく。そもそもこの本はタイトルのとおり”人間”について書かれた本なのだが、「動物と人間(猫と動物または犬と動物とは言わない)」と無意識に区別しがちな、”人間”を特別視した考えを捨て、一種の動物として”人間”を捉え考察し直した本で、生物学的な話から「戦争はもっとも人間らしい行為だ」という人間の攻撃性についてまで、玉手箱みたいに目からウロコ出まくりなのでおすすめしたい。
そのなかで言語についての考察がある。一般的に言語はコミュニケーションの手段だと言われているが、著者は概念を整理するためのツールだと言っている。概念とは右や左、男や女など普段当たり前のように使っているもので、他の動物に比べて人間はこの概念の数が圧倒的に多いそうだ。頭の中で考えた「あれ」に名前(言語)が付けられ、そこから「それ」が生まれる。「ここ」があるから「そこ」があるのだ。つまり、頭の中のふわっとした考えを言語化するということは、その考えにラベルを付け、新しい概念をひとつ生み出すことと同じなのかもしれない。だから、思い出せたり、他のものとちゃんと比較もできるようになる気がする。
結局なにが言いたいかっていうと、なにかを考える上で言語化することは大事ってことでした。

さて、ようやく本題へ。
言語はコミュニケーションのためじゃなく、概念を整理するためにあるのだ!と書いたものの、自分の頭の中を整理しただけでは全然相手にはちゃんと伝わらないなあと思うことが多い。自分ひとりで考えて自分ひとりで生きていけるのであればそれでも構わないのかもしれないが、社会の中で生きていくのが人間で、家族、恋人、同僚、友人、避けては通れない人間関係は死ぬほどあって、人生の80%くらいはなにかしら人間関係に関することで悩んでいたりする。

そんななか、ひとがひとを理解することの難しさを描いたグザヴィエ・ドランの映画を最近見たので、紹介していきたい。

Mommy

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この映画は簡単に言ってしまうと、多動性障害の少年と母親、その二人と周囲の人間との愛情と葛藤を描いたもの凄くシビアな映画だ。施設に入っていた息子が返ってきて、共同生活を始めるところから物語はスタートするのだが、息子との生活に動揺を隠しきれない母親とそんな母親の感情に全く気づくことができない息子とのギクシャクした空気感はスクリーン越しにじわじわ伝わってきて辛い。僕はこの映画を母親の立場で見たのだけど、仕事や家族、人間関係のしがらみから、本当に言いたいことも言えず、本当に大切なことも見失っているような気がした、、、大人になるにつれてひとを理解することがどんどん難しく、苦手になってきているような自分を見た気がした。
この映画は音楽も映像もいいし、少年のシャツの色と髪の色、ヘッドフォンとスケボーが抜群にクールだから、それだけでも一見の価値があり。


Laurance Anyways

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地位も名誉もある哲学者の教師ロランスが、ある日自分がトランスジェンダー(ロランスの場合は身体は男性だけど心は女性で性的対象は女性)であることをカミングアウトしたことで、彼女や両親、職場環境など周囲との関係性に変化が起こり、ロランス自身もその周囲もそれぞれの形で葛藤し、乗り越えていく物語。映像も音楽も最早アートの領域だから、その観点でも一見の価値あり。
映像を見ながら、自分らしく生きていくことと、自分をコントロールして生きていくことのどちらが本当に幸せなのかを何度も考えることになった。トランスジェンダーほどの大きなインパクトはないにしろ、多かれ少なかれ日常生活で本当の自分を出さない、出せない機会はあると思うし、結局どちらが正解かなんてその時点ではわからないので、決めの問題だよねとも思う。そのひとつひとつの決断がおそらくそのひと自身を作り上げていくことになるから、どんな決断をしてもロランスはロランスだし、自分は自分なんだとうなという考えがぼんやり頭の中に残った。


そういえば、狂気の桜で須藤元気の言った「もう子供じゃないんだし、好きとか嫌いとか言ってられない」に対して、窪塚くん演じる山口は「好きとか嫌いとかを決めていくのは大人だ」と言っていた。ちゃんと決めて進める大人になりたいものだ。

『貌切り』のセリフが、自分の中にあった言葉とシンクロした話

こんにちは、堤です。

交換ブログってこれまで何度か挑戦してきたんだけど、たいていうまくいったことがない。

が、今回の相棒になる上村君は実に熱い男で、言いたいことがグルグルと渦巻いているタイプの男だから、きっと続くような気もする。

さて、ここ二週間で上村君に話したいことをいくつか考えていたんだけど、とりあえず2つまで絞り込んだ。

  1. 『貌切り』という映画について
  2. 『SXSW』というイベントについて

この二週間で最も嬉しかった出来事で言えば、完全に2なんだけど、タイムリーなのは1なので今日は『貌切り』という映画について共有しようと思う。

貌切り

この映画は舞台を演じる俳優と、その舞台裏の人間模様を描いた、多重構造の映画で、映画自体はなんと実際に行われた全八回の舞台を編集したものとなっている。

俳優が舞台のキャラクターを演じ、その中でもさらに"スタニスラフスキーシステム"を使って、別の人間を演じるなんともややこしい作品だ。

 


純粋に面白かったという感想はさておき、僕が伝えたいのは、この作品は全ての表現者の"孤独"を、演劇という形で表現したものであるということ。そして僕はそれにひどく共感をしてしまった。

あらゆる表現活動をしていて、ぶち当たることがある"孤独"。誰からも得られない理解や共感、うまくいかないことへの葛藤、そして他人へのジェラシー。これが映画の中でバランスよく、演じ分けられていた。

主人公は孤高のカリスマ映画監督、ヒロインは表現者になり切れない中堅俳優、映画監督にずっと付き添っている売れない助監督、魂を売ったと言われる脚本家。みんなそれぞれに表現者として抱えている悩みがある。これの誰に共感するかで、自分の今のステージがわかると思う。

そして映画の最後で語られる「禁断の果実」。この感覚は自分にも身に覚えがある。これを齧ったら最後、もうそのステージから降りることは許されない。

上村君、今君は"孤独"だろうか?この感覚を共有できる人間は少ない。だからこそ、交換できる人間が現れた時はすごく嬉しくなる。なんとなくだけど、君はこちら側の人間な気がしているんだよ。

ちなみに俺は悩んでいた時に尊敬する人に言われた言葉に勇気づけられて、今は随分と気が楽になった。

 

「一流の表現者はみんな孤独だ。僕が見てきた成功者はみんなそうだった。堤君もそちら側に足を踏み出したんだよ。君の通った道を先に行った人は、みんな君のことを理解して受け入れてくれるから大丈夫だ」

 

気が向いたらぜひ映画を見てみて欲しい。最後に、似たような映画で言えばこちらもおすすめしておこう。

最近、文字が気になる。

人生のなかで自分の考えを公の場で文章にした経験はたったの一度もないけれど、こんなブログに憧れるというイメージだけはなぜかある。どうせなら、ツレヅレナルママ二、なんて書き出しで始めて、ヨシナシゴトをソコハカトナク書き付けたい。肩の力を抜いてふわりと深い文章書いてみたい。こんな感じの頭でっかちで行動が伴わない自分の背中を押してくれた同期入社の京都で働くT君に感謝しつつ、ブログ第一弾を始めてみよう。

このブログにはテーマなんてものはもちろんなくて、僕(東京)とT君(京都)が「お前、普段そんなこと考えてたの。」とただ確認し合うためだけの場である。なので、このブログに書く内容については、正しいも間違っているもなければ「なるほど」も「イケてる」も面白みもクソもないわけだ。

さて、ここ最近、言葉、特に文字・文章が面白い。このブログを始め、考えを文章で整理することの重要性と相性の良さを改めて感じている。仕事でもプライベートでもこれはこうだろうとはっきり考えていることをテキストにした途端、まったく文章にならなかったりする。なんとか文章ができると、生まれた文字を支点にして新しいアイディアが生まれて思考が進んでいくのが気持ちいい。なにより考えを頭の外に記録しておけるので妙にスッキリする。文字ってすごい。

最近、もうひとつの文字の魅力を知ってしまった。広告のキャッチコピーだ。

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iichiko / 水は流れ、草は匂う。
コピーに商品を感じさせるワードはないのに、写真の風景と相まって焼酎嫌いの自分でも「一杯飲みたい」と思わせてくれる。焼酎のあの独特の香りも消し飛ばして、清涼飲料水とでも言いたげにコピーの中は爽やかな風が吹いている。純粋にそう思わせられるから文字ってすごい。

 

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カロリーメイト / とどけ、熱量。
言葉の短さとその中に含まれる熱量の多さのギャップが気持ちいい。ギャップ萌えだ。カロリーメイトが元気の源に思えてくる。自分の小腹を満たすために買うイメージだったのに、これを見た直後には、頑張っているあの子に買っていってあげたい衝動が自然と湧いてくる。凄まじい自分ごと化。短くシンプルだからこそスッと入り込んできて、自分の様々な記憶や経験と文字が結びついて行間から想像が止まらなくなる。

文字ってすごかった。
当たり前に存在しているせいで忘れがちな文字の力と面白みに気づき始めた今日このごろ。
まずは1年、このブログを通して文字と向き合っていきたい。

よろしくお願いします。